呼ばれる山/白駒池・にゅう/北八ヶ岳

呼ばれる山/白駒池・にゅう/北八ヶ岳

「山に呼ばれる」という表現に、私はいまいちピンと来ていなかった。山の先輩や友人が「魂が呼ばれる山」などと話していても、その感覚がわからない。私にはそういう山は全然ないなあと思っていた。どの山もすばらしいけれども、呼ばれたから登った気は全くしない。本格的に登り始めてまだ2年にも満たないし、もっと色んな山に登るにつれて、これからそういう山ができるのかな、などと思ったりもした。

そんな折、わが子のような存在だった愛犬アビが旅立った。
14歳と7か月。人間でいうともうとっくにおじいちゃんだったけれど、親馬鹿を承知で書けば、老犬には見えない本当にかわいい子だった。アビは死なないんじゃないかとさえ考えていた。それはさすがにないにしても、20歳くらいまで生きて大往生するのではと、私も夫も勝手にそう思っていた。

けれども、今年6月に初めて出たてんかんの発作がひどくなり、それが原因で息を引き取ってしまった。私が南アルプス山行から帰った翌々日のことで、本当にあっという間だった。アビと再会した夜、さっそくおもちゃをくわえて催促してきて、いつもの通り遊んだのに。

火葬の手続きを申込むも、私の仕事の関係で3連休の最終日しか空いていなかったため、アビの亡骸と三晩一緒に過ごした。最期を看取った先生からは、死後硬直でそう簡単に腐ったりはしないから大丈夫ですよ、と言われたが、家にあるありったけの保冷剤をタオルで包んでアビに添えた。その時はまだ、いつものように小さなベッドでただずっと眠っているだけのように見えた。もう二度と目を開けてくれないなんて信じられなかった。

そしていよいよお別れの日が来て、アビは本当に小さくなってしまった。

人間の時と同じように、骨を拾って骨壺に入れた。係の人が、これは爪、これは牙、これは背骨、などと説明してくれた。喉仏は最後に入れてあげてくださいね。そう言われ、しばらくアビの骨拾いに二人とも没頭していたが、ふと気づくと片っ端から骨を入れていてどれが喉仏かわからなくなる始末。結局取り出して入れ直した。もはや作法も何もあったもんじゃない。アビごめんよ。でもアビはきっと気にしないよね。

アビの大部分は骨壺におさまったが、係の人が小さなカプセルをくれた。爪と牙を入れてお守りにできるのだそうだ。
家に戻り、前から夫と相談していた通り、アビの骨の一部は庭に埋めた。
アビは庭に出て遊ぶのが大好きだったから、きっと喜んでくれていると思う。

その翌日は、日帰りで山に行こうと前から予定を空けていた。紅葉が美しい安達太良山、千畳敷カールが絶景の木曽駒ヶ岳、池塘が美しい苗場山、アルペンムードたっぷりの谷川岳。そんな感じが候補ですよと、声がけした山友達にも前もって伝えていた。足があると直前まで天気予報とのにらめっこになるので、大体前日に目的の山が決定するパターンが多い。今回もまさしくそうで、まだどこに登るか決まっていないと夫に話していたが、今回は一人ではなく、同行者がいるとわかるとかなりびっくりされた。

小さくなったアビと一緒に家の周りをぐるっと散歩して、帰ってきてからやっと、山の天気を見比べはじめる。候補のどの山も悪くないんだけど、なんか違うんだよな。もともと第一候補は安達太良山で、登山指数もAなのにどうも気乗りがしない。今思い返してみると、これが「山に呼ばれていない」という感覚だったのかもしれない。

そんな時ふっと思った。
アビと一緒に、八ヶ岳の森を歩きたい。

もともと八ヶ岳はかなり好きだった。アルプスに比べてアクセスも近いし、山々がきゅっと固まっていて色んなコースがある。なだらかな山容の北八ヶ岳は苔生した森が美しく、主峰の赤岳に代表される南八ヶ岳は森林限界を超えたダイナミックな稜線も楽しめる。私が登山に本格的にはまったきっかけの山も、北八ヶ岳の蓼科山だった。色々な意味で、八ヶ岳は私の身の丈にあった山なのだ。

そうだ八ヶ岳に行こう。6月にも北八ヶ岳の白駒池からにゅうに登って、高見石をぐるっと周回する日帰りのコースを歩いている。優しいコースだから、同行するSさんも難なく登れるだろう。天気予報をチェックすると、完璧な晴れ予報。私の気持ちは決まった。

翌朝、登山口の白駒池に到着した。6月に訪れた時は無料の駐車場に余裕で停められたのに、何と既に満車だった。有料の駐車場に何とか停められたが、私たちが身支度をしている間に「満車」の看板が出ていて、既に駐車場を待つ車が10台ほど並んでいてびっくりした。山の恰好をした人は半分くらい。後の半分は白駒池の紅葉を愛でるために来た普通の観光客だった。オンシーズンをなめてはいけない。一つ学習する。

入口から少し歩くと、すぐに白駒池が目の前にあらわれる。6月は青苔荘の前を通るコースを通ったので、今回は白駒荘の方の道を選んだ。白駒池の紅葉をしばし楽しんだ後、まずはにゅうのピークを目指して歩きはじめる。白駒池を離れて登山道に入った途端、人が一気にいなくなっておかしかった。

小さくなったアビがおさまっているカプセルをサコッシュにつけて、アビと一緒に森を歩いた。
今は10月。日中でも光が黄金色を帯びていて、センチメンタルな気持ちになった。深まってゆく秋を、森に差し込む光で感じることができた。
命をはぐくみ、全てを受け入れる八ヶ岳の森を、私は全身で感じていた。匂いを嗅ぎ、耳をそばだて、目に見える全てのものを吸収しようとした。
あの小さくてふわふわした唯一無二の存在がもう永遠にいなくなってしまったのだと思うと、時折涙ぐみそうになったが、森を歩いている時、山頂からの景色を眺めている時、少し気持ちが落ち着いた。
ふいに思った。私はきっと、八ヶ岳に呼ばれたから今日ここにいるのだ。
アビを失った私が今身を置きたい山は、八ヶ岳だったのだ。

アルプスの山々は、例えて言うなら超絶イケメン。かっこよくてドキドキするから会いたいとは思うけれども、ずっと付き合うには疲れてしまう。私にとってアルプスは結構背伸びな存在だ。会うのは時々でよいかなあと思う。けれども八ヶ岳は、ゆったり優しいところ(北八ヶ岳)もあるし、厳しくりりしい一面(南八ヶ岳)もある。なんだかアビそのものみたいな山だと思った。

ついイケメンに目がくらみ(笑)、もっと近くの存在を忘れていた。八ヶ岳もまだまだ歩いたことがない道がたくさんある。またアビを連れて、八ヶ岳を歩こうと思う。

 

これからは一緒に山に登れるね、アビ。

 

白駒池・にゅう/北八ヶ岳(にゅう 2,352m)

北八ヶ岳はおだやかで優しい山容が多く、初心者向けのコースが多い。苔生した美しい森を歩くことができる。
駐車場から歩いてすぐの白駒池は一般の観光客にも人気のスポット。
今回歩いた中のピーク、「にゅう」は「にう」だったり「ニュー」だったり「乳(!)」だったりとおもしろい。

≪コースタイム≫
白駒池入口→白駒池→にゅう→にゅう分岐→中山→高見石小屋→白駒池→白駒池入口
歩行時間 白駒池入口~にゅう 1時間40分/にゅう~中山~高見石 2時間
歩行時間 7.88km
最大高低差 400m

≪アクセス≫

〇マイカー 【白駒池駐車場・麦草峠へのアクセス】
・中央自動車道 須玉IC-国道141号-国道299号(メルヘン街道)-白駒池駐車場-麦草峠(須玉ICから約1時間15分)
・中央自動車道 諏訪IC-ビーナスライン-国道299号(メルヘン街道)-麦草峠-白駒池駐車場(諏訪ICより約1時間)
・上信越自動車道 佐久IC-国道141号-国道299号(メルヘン街道)-白駒池駐車場-麦草峠(諏訪ICより約1時間)

【駐車場情報】
・白駒池駐車場
駐車可能台数:150台(大型バス駐車可)
料金:500円(普通車)
トイレ:あり

・麦草峠駐車場は無料

○電車・バス

・東京駅から北陸新幹線 佐久平駅にて下車-千曲バス白駒線 白駒の池・麦草峠方面行乗車-白駒池入口または麦草峠下車(佐久平駅より約1時間50分)
・新宿駅からJR中央線 小淵沢駅にてJR小海線に乗り換えー八千穂駅にて下車-千曲バス白駒線 白駒の池・麦草峠方面行乗車-白駒池入口または麦草峠下車(八千穂駅より約1時間10分)
・新宿駅からJR中央線 茅野駅にて下車-アルピコ交通バス麦草峠線乗車-麦草峠または白駒の池下車(茅野駅から約1時間20分)