寝不足は敵/涸沢カール・奥穂高岳

寝不足は敵/涸沢カール・奥穂高岳

眠い。
東京駅まで向かう車の中でハンドルを握りながら、一瞬そう思ってしまった自分を不安に思う。

この時、23時。東京駅に23時半集合の予定だ。一般車乗降ロータリーで仕事終わりの友人をピックアップし、そのまま首都高から中央道に乗り、行けるところまで行って途中のサービスエリアで仮眠を取り、また出発して早朝に上高地行のバスが出ている沢渡駐車場まで行く予定だった。

今回の目的地は、上高地からの涸沢カール、奥穂高岳。今まで日帰りかせいぜい1泊山行ばかりだったのが、今回は2泊。しかもテント泊である。荷物も約13kgとその分重い。

やはり眠い。というか疲れがたまっている。実は、この日オートキャンプから帰ってきたばかりで、家に着いてからキャンプ道具を片づけ、それからテン泊山行の準備をして、仮眠を取りたかったができず(もともと昼寝をほとんどしないので、いざ寝ようと思っても全く眠れなかった)、しょうがないのでそのままだらだら自宅で過ごし、出発の時間になったので暗い道を東京駅に向かって走っている。

そりゃ眠いはずだ。自分の体力を過信していたかもしれない。今さら反省しても遅いけど。

東京駅で無事友人をピックアップし、中央道をひた走る。権現岳の時もそうだったが、夜の高速って時折外灯が少ない区間があって、すごく暗い。ましてや眠いのだ。

そもそも23時半東京駅出発という時点で、進める距離にも限度がある。夜中の1時をまわったくらいに限界を感じ、途中のサービスエリアで寝ることにした。上高地行の始発のバスに乗りたかったので、逆算すると2時間くらいしか眠れない。けれども、少しでも体を休めようと、車を車中泊仕様にして眠りについた。

かっきり2時間後、アラームが鳴った。目を閉じていたが正直あまり眠れなかった。中途半端な眠りで体がさらに疲労を感じている。ウェアに着替えてから出発する。頭がぼーっとしている。しゃきっとしないと危ないな。そう思いながらなんとか松本ICで降り、沢渡に向けて一般道を走る。途中からかなり細いトンネルの道が続く。とその時、乗鞍岳方面との分岐のトンネルに入ろうとしたら、私たちの車が走っている同じ左車線の向こうから、大型トラックが向かってきた。「?!?!!」このまま走ると正面衝突だ。一瞬パニックになる。まちがえて、一方通行の逆車線を進んでしまったのかも、と思ったが矢先、トラックの運転手がスピードをゆるめ、向こうも左車線に寄せた。何だ、単に横着してど真ん中走ってただけか・・・あーびっくりした。トラックの運ちゃんが窓を開けて「この先、工事してて車線少なくなってるからね」と声をかけてきた。わかりましたが本当に肝を冷やしましたよ、まったくもう。

無事、沢渡駐車場に到着した。もうこの頃にはすっかり日が昇って明るくなっている。沢渡発上高地行のバスに乗り、30分ほどの乗車時間中、私は睡眠を取り戻すかのように爆睡した。

上高地に到着した。なんと清々しい空気なのだ!上高地。名前は聞いたことあるけど、私、来たことあったっけ?あまり記憶がない。おそらく初めてだ。今回が私にとっての上高地デビューである。多分。

ザックを背負って、涸沢カールへ向けて出発した。この日、上高地から6時間ほどかかる涸沢カールまで一気に登る予定だ。上高地から横尾までの3時間ほどはほとんど平坦な道で、秋晴れで天気もよく、私たちははしゃぎながら歩いた。いやあ上高地、なんと素敵なところなのだ。朝日がきらきらまぶしい。涸沢岳が、前穂高岳が、どどーんと目の前にそびえたっている。なんとも神々しい。普通に猿がその辺でくつろいでいる。色づき始めた樹々の道も、目の前を流れる梓川も何もかも美しい。ついついシャッターを切ってしまう。

途中の徳澤で甘味補給をしてから、さらにどんどん進んでいく。道のりが平坦過ぎて若干拍子抜けしている。これから先の道がきつくなることも知らずに。

横尾に着いた。この時点で10時過ぎくらい。かなりの登山者でにぎわっていた。これから横尾大橋を渡っていく人、帰ってきた人。ちょうどそれらの人々が交差する時間だったのだろう。

横尾大橋を渡り、梓川沿いをどんどん登っていく。横尾までは平坦な道で一般の人でも来れるが、この先は登山の装備がないと危ない。要するに、本格的な登山道が始まるのだ。今まで平和な道を元気よく歩いてきたが、山道になって急に寝不足から来る疲労とザックの重さが体にのしかかってきた。いや、のしかかってくるの早すぎるよ。でもこんな早い段階でバテ気味なんて友人には言えやしないので(ばれてただろうけど)、黙ってもくもく足を運ぶ。本谷橋で休憩した時、ザックを下ろしたら背中に羽根が生えたかと思った。

休憩を終え、出発する時にまたザックを背負ったときの絶望的な重さは今でも覚えている。本谷橋から涸沢までの道のりは本当にきつかった。足取りが重すぎる。寝不足でなくて、さらに荷物が軽かったら全然違っていただろう。ていうか寝不足とザックの重さに関しては友人も条件は同じなんだけどね。やはりキャンプ帰りしたその日に夜出発という疲労が大きかったと思う。

ここまで寝不足と疲労のことばかり書いてしまったが、この時10月の3連休明けで、もう山は目をみはるほど美しい紅葉に染まっていた。人間の傲慢かもしれないが、山全体が私たち登山者のために特別に化粧をしてくれているようだ。赤、橙、黄、緑・・・まるで絵の具のパレットだ。自然だけが作り出せる美の饗宴。本当に、なんと美しいのだろう。言葉を尽くせば尽くすほど陳腐になっていくが、とにかく、わーきれい、とか、わー美しい、という言葉しか見つからない。圧倒的な山を前にすると、どんな人でも子どものようにシンプルな反応しかできなくなると思う。大きい、すごい、きれい、など。

私はもともと、紅葉にはあまり興味がない人間だった。というか、いわゆる日本で昔から美しいとされ、皆に愛されている景色(桜とか)に食指が動かなかった。街中で紅葉を見かけてもあまり心が動いた記憶がない。けれども、涸沢の紅葉には何というか、本当に胸を打たれた。涸沢の紅葉は世界一、という言葉にも納得だ。人に見られても、見られなくても、ここに生きている樹々たちは、色づいたあとに葉を落とし、雪に耐え、そしてまた春になると新しい芽吹きを生み、夏には葉を茂らせるのだ。春夏秋冬をずっとめぐって生きているのだ、と思うと胸が熱くなった。下界の樹々も同じように季節を生きているはずなのだが、季節の濃さを山の方がより感じる分、とらえ方も変わるのだと思う。考えてみると、秋まっさかりの山に登るのは初めてだ。私は秋の山を味わいつくしていた。

もう、バテバテのへっろへろだが、それでも美しいものは美しい。あっ、あの樹の紅葉、すごくきれい!そう思ってカメラを構えて一歩道の脇に進んだその時、私はザックを背負ったまま見事にすっころんだ。もうちょっとで、なんでもないところで滑落するところだった。

あの時周りにいた皆さん、お騒がせしました。ばてていることを自覚しておとなしく登ります。

もう少し、あとちょっと。何度そう言い聞かせただろう。GPSで自分の位置を確認すると、そろそろ涸沢到着のはず。着いたら、何が何でも絶対ビールを飲んでやる。私はニンジンをぶら下げた馬のようにビールに向かってひたすら歩いた。

と、遠くからバラバラバラ・・・と音がして、何だろうと見上げた瞬間、荷物をぶら下げたヘリが飛んでいくのが見えた。北アルプスはヘリでの荷揚げが盛んだ。ちょうど3連休明けだったので、昨日までかなりの混雑だっただろう。物資も足りなくなっているかもしれない。「あの中に、私たちのビールが入ってたりしてね」そんなことを話しながら、ようやく涸沢に到着した。

涸沢までの道のりの紅葉も本当に見事だったが、氷河が作ったとされる涸沢カールの絶景もまた圧倒的だった。北穂高、奥穂高、前穂高などの穂高ファミリーに囲まれて、涸沢ヒュッテ、涸沢小屋が建ち、そして涸沢の名物と言われるテントの花が咲き乱れ・・・ていなかった。今日は平日だしね。それでも、山に抱かれるというのはこういうことなのだ。今まで目にしたことのない圧巻の景色に、しばし呆然としてしまう。何なんだここは。人がいていいのか。

さて、涸沢ヒュッテでテント泊の受付を済ませ、ようやくビールにありつける!!!と思ったら、さっきヘリを目撃した時の悪い予感は当たっていた。昨日までの3連休でビールは売り切れ。さっきヘリで届いたばかりなのでまだ冷えていないらしく、売れないとのこと。ガーン。

しょうがないので、奥の涸沢小屋まで行ってみることにした。が、すぐ先に見えているのになかなか着かない。しかも微妙な石段の上り坂で、既にバテている私にはとどめとも言える道のりだ。それでも、ビールのためならがんばれる。これで涸沢小屋までビールが売り切れだったら泣いてやる。そう思いつつようやく涸沢小屋に到着し、無事ビールを注文できた。生ビールと涸沢名物のおでんで、カンパイ。本当に、お疲れさま。いやあ今日は本当にきつかったなあ。

早めに宴会を切り上げ、なんと初日は18時台に就寝した。寝れる自分がすごい。

翌朝、4時頃起床した。すでに辺りは明るくなり始めていた。山の朝は早い。周りのテントの人々も、みんな同じ景色を見るために起き出していた。

朝焼けが山肌を真っ赤に染めていく。

奥穂高岳のモルゲンロートだ。

もちろん雑誌やネットで写真を見たことはある。けれども、山そのものと同じで、実際に自分の目で見るのと写真で見るのとは雲泥の差があった。それほど、神々しく、美しい、朝の儀式だった。朝っぱらから感動だ。朝からいいもの見せてもらいました。

2日目のこの日は、必要なものだけ背負って、奥穂高岳にアタックする。奥穂高は日本第3位、標高3,190m。中級~上級のコースである。上高地から涸沢までの道のりと比べると、だいぶレベルが上がる。誤って落ちたら死ぬところもある。鎖場や岩場、ハシゴなど、難所がどんどん出てくる。だけど、たっぷり睡眠を取った元気いっぱいの体って、なんてすばらしいんだろう。ザイテングラートと呼ばれる岩嶺の本格的登りも全く怖くないし、疲れもない。これなら昨日の方がよっぽどきつかった。

穂高岳山荘に着き、ハシゴをひょいひょい登ってさらに山頂を目指す。残念ながらガスが濃くなってきて、槍ヶ岳は見えなくなってしまったけど、一瞬見えた峰々に感動する。岩場を乗り越えて無事、奥穂高岳に登頂した。山頂ではソロで来ていたお兄さんに写真を撮ってもらったが、話を聞いたら上高地の西糸屋山荘で働いているそうで、休暇を利用して登りに来たとか。しかも、西穂高から来たと聞いて私たちは尊敬のまなざしだ。西穂~奥穂の道はジャンダルムと呼ばれる最上級の難関コースだ。結構な強風なのに、真の山屋ってすごいなあ・・・そう思いながら奥穂高の山頂を後にした。

途中の穂高岳山荘で、お昼のラーメンをいただいたのだが、これがすこぶるおいしくてびっくりした。そもそもこんなところに山荘が建っているのもすごい。標高3,000mで温かい食べ物にありつけることに感謝する。

テントに戻り、無事奥穂高岳に登頂できたことをビールで乾杯した。すでに山の上の方はガスで覆われていて、見えなくなっていた。

翌朝。いつの間にやら大雨になっていて、テントをしまうタイミングが難しい。テントの中で荷物を全てまとめ、友人が持参していたごみ袋にひとまずテントを適当に放り込み、ダッシュで屋根のある涸沢ヒュッテまで走ろう、ということになった。作戦、何とか成功。しかし、やはり雨の撤収は厳しい。天候はコントロールできないので、どうにもならないけれども。

雨の降りしきる中、上高地へ向かって下山する。この日も爆睡していたので体調はばっちりだ。本当に、疲労って何なんだろう。私たち人間だけでなく、動物、魚、鳥、全ての生き物は睡眠、すなわち休息を取る。そうしないと生命活動を維持できない。寝ないと死んでしまうのだ。

普段の生活なら、多少寝不足でも何とか乗り切れるが、山ではそうはいかない。寝不足がもとで重大な事故につながるかもしれない。寝不足で死ぬなんてバカみたいだ。

寝不足は敵だ。

これからは肝に銘じようと思う。

 

涸沢カール~奥穂高岳(3,190m)/北アルプス

北アルプス屈指の人気コース。観光地としても有名な上高地から涸沢カールまで約6時間。涸沢カールからは百名山の奥穂高岳や北穂高岳などに登頂できる。
氷河が作ったとされる穂高岳連邦に囲まれた涸沢カールの景色は、四季を通じて絶景。夏にはたくさんのテントが張られ、夜には色とりどりのテントの宝石箱のような景色が見られる。

≪コースタイム≫
1日目:上高地バスターミナル→明神→徳沢→横尾→本谷橋→涸沢(涸沢テント泊)
歩行時間 上高地~横尾 3時間/横尾~涸沢 3時間
歩行距離 12km
最大高低差 765m

2日目:涸沢→ザイテングラート→穂高岳山荘→奥穂高岳→穂高岳山荘→ザイテングラート→涸沢
歩行時間 涸沢~穂高岳山荘 2時間45分 穂高岳山荘~奥穂高岳山頂 40分
歩行距離 6.32km
最大高低差 890m

3日目:涸沢→本谷橋→横尾→徳沢→明神→上高地バスターミナル
歩行時間 涸沢~横尾 3時間/横尾~上高地 3時間
歩行距離 12km
最大高低差 765m

 

≪アクセス≫

〇マイカー 長野自動車道 松本IC-沢渡駐車場 詳しくはこちら>>>
〇長距離バス 東京新宿-上高地(さわやか信州号)(毎日あるぺん号
〇電車

交通アクセス詳細はこちら>>>